思考

するべきではなくて、したいをゆるす。

どうも、つむぎです(@tumugi0141)

何らかの判断するときに
こうするべきって考える「べき論」で判断する人が多いのではないかな?と思っています。

それって生きてて苦しくなることが多いのではないかと思っています。
いざ「何を自分がしたいのか?」わからない。

ただ生きてる状態。なかなか辛いと思うのです。

これは普段の思考パターンで癖づいてるだけで本当は自分のやりたいことに許可をだすことで、だれでも欲求にしたがってもう少し楽に生きれると思っています。

have to(するべき)ではなくwant(したい)の思考で。

するべきという思考の弊害。

今現在多くの人が、仕事の業務内容や学校の授業中にはしなければならないことはあるかと思うのですが、「べき論」を判断に使いすぎたことで脳の回路がより強化され、

自分の人生の判断まで〜するべきという「べき論」を使ってしまっているひとが多いのではないかと思います。

 

本来、人間は生物なので「〜したい」という本能や欲求があると思います。
ここが、遊びたいとかご飯が食べたいという欲望の源泉だと思うのですが、これをないがしろにしていると自分が何をしたいのか聞いても反応がない状態に陥ります。

自分が何を欲しているのかわからない、抜け殻の存在になってしまう可能性が高い。

なぜしたいことがわからなくなるのか。

なぜこのような状態に陥るか?
それは自分の本心に問いかけることを怠って、
べき論の多用したことで自分の心と思考を遠ざけていたからです。

べき論とはその時の常識観や慣例である程度決まっているもので、ほとんど思考が介在しないものだと考えています。
ある現象に対して、反応を返す。この脳内の電気信号の繰り返しです。

木に例えると「〜したい」本能や欲求は木の内側、芯の部分。
対して「〜するべき」べき論は木の外側、皮などの部分になります。

この木はべき論を繰り返すたびに強固な皮が芯の部分を分厚く覆っていきます。
そして皮が分厚く大きくなればなるほど、内側の芯にふれることが難しくなっていきます。

これが自分の欲求がわからない抜け殻の状態を生み出します。植物状態と言ってもいいかもしれません。

どうすれば自分の声が聞けるようになるのか。

答えはシンプルだと思っています。

やりたいと思いついたことを実際にやってみることです。
自分に許可を出してあげる。これがとても重要だと思います。

映画見たいと思ったらその日に観に行く。
前々からキャンプしたいと思ってたら、とりあえず予約しちゃう。みたいに

思いつきなどの無意識なアイデアは本能や欲求に近いところにあります。
それを拾い集めて、自分に与えてあげると木の皮がめくれてきます。

そうすると本心の部分にだんだんと触れられるようになってきます。

注意点は行動しないと何も変わらないことですね。
自分に許可を出せるか。分岐点はそこだと思います。

 

ふだん自分に「いま何をしたい?」って聞いてあげることが少ないから、いきなり何をしたいか答えるなんて普通に社会に生きてたら難しいです。

でもリハビリをしていったらいいと思うんです。

そうして自分の声を聞けるようになると自分の生き方と本心が合致してもっと気持ちが楽に生きれるんだと思います。

まとめ

べき論で生きていると自分の本心がわからなくなる。

本心を聞けるようにするため、やりたかったことに許可をだしてあげる。