感想

表現は自己治療。 『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』の感想

どうも、つむぎです。(@tumugi0141)

おもしろいと紹介してもらった『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』が良かったので備忘録を残しておきます。

いざ記事を書くとなると、ほとんど線引いてしまっていて、引いた意味がなくなってますね(笑)

閑話休題。

個とはなにか?

日本の学校教育での個性を伸ばそうという話。

河合    アメリカでは個性は大事なんじゃないですかと言われますが、いや、そういうのはあたりまえな話だからわざわざ書く必要はないんだ、と答えるんです。  日本では「個性を大事にしましょう」と校長先生が言ったら、みんなで「ハァー」というわけで、「みんなでいっしょに個性を伸ばそう」ということになって、知らない間にみんな一体になってしまうんですね。それほど、日本では個人ということがわかりにくいんですね。

個性を伸ばすという方向なのに、みんなで個性を伸ばそうとして一致団結すると集団であるという矛盾。

個性というものは方針を決めて伸ばすものではなく、個人が勝手にやっていくところに現れると思うんです。
日本は同調圧力が多く、同じであることにあんしんしすぎるきらいがありますから、結局の所、「個性とはなんなのか?」というのを理解しないでやるので今後も同調と個性の揺れ動きを繰り返し続けるのだと思いました。

デタッチとコミットメント

分析家は中立である必要があるという性質をもっているのですが、仕事を突き詰めるとコミットメントせざる負えない。という話は奥深かったです。

このコミットメントは、一般に考えるように「なんでもしてやろう」とか「頑張ってやろう」というのではなく、外見的にはむしろデタッチしているかのようにさえ見える。つまり、「静かで深いコミットメント」なのです。

デタッチしてるような振る舞いを見せるのですが、実は本質にコミットしている。この矛盾を考える、思考の二面性は物事を考える上でのヒントになりうるかもしれません。

デタッチにコミットするというのはとてもおもしろい視点でした。

まさに思考にゆとりをもつ。自分の考えてることなんじゃないかと思いました。
緊張させて感情を使い続けるよりも、適度に弛緩した状態を保つことでデタッチをつくること。これが深いコミットメントへの鍵なのかな?と思うところです。

にんげんはみんな病んでいる

河合さんはひとはみな病んでいると言います。

ぼく自身の病んでいるなと思うし、他の人を見ても病んでいるなあと思うことは多々あるので、この考え方はとても腑に落ちました。
人間は基本的に病んでるものと思えば、それが「なんだ普通か」とらくになれるんじゃないかなと思います。

生き抜く過程に個性が出る

生き抜く過程のなかに個性が顕在化してくるのです。  人間の根本状態みたいなものはある程度普遍性をもって語られうるけれども、その普遍性をどう生きるかというところで個性が出てくる。だから、ある人は海に潜るよりしかたがないし、ある人は山に行くよりしかたないし、ある人は小説書くよりしかたがない。

その人が大事にしていることを生き抜いているときに、ある人は自分は海である。またある人は山と一体化する。
と同じようなことを言ってる中にも、向き合うものが違っていてそこに個性が出てるという話。

その中で、殺すことを見出すひともいるという話はなかなかの衝撃でした。そういう現実的にどうしようもないモノは、社会の枠に収まるように表現の方向を考えていかなくてはならないようです。

おわりに

お二人の会話がとても素敵でした。
深い話が多く、こんな話を延々としたいです。

小説を書くというのは、ここでも述べているように、多くの部分で自己治療的な行為であると僕は思います。

という言葉。

表現とは自己治癒的行為なんだと、お二人は語っていました。
ぼくの文章も、表現も、自分を回復させるために書いているのかもしれません。

表現とは自己治療である。これが響きました。